2 横浜とは

 ひとに訊かれて「横浜出身です」と答えて得る反応は、大きく分けてふたつある。

 ひとつは好意的、もうひとつは「カッコつけてンな」というニュアンスを感じる少し否定的なものである。後者は自分に対しての批評も含まれるであろうから一概にはいえないまでも、ふた通りの反応があることについては、賛同が得られるように思う。

 「カッコつけやがって」の裏には多少の嫉妬が隠されていると思いたいところだけれど、ますます反感買うかな?いずれにしても、そう仮定すると好意的、否定的感情共に「横浜スゴイ」というところが共通している。

 

 なぜ横浜はスゴイと思われているのだろう。

 過去に友人たちとこの疑問について議論(といってもSNSで)したことがあり、何人もの出身者のカンカンガクガクの末、「これ!」という結論にたどりつかなかった。横浜を訪れるヨソの人、要は観光客が行くだろう場所として思いつくのは、中華街・山下町界隈(山下公園を含む)、元町、本牧、八景島、みなとみらい、ズーラシア、ラーメン博物館、あとは港北方面の一帯。動物園ならば出身者としてはズーラシアより野毛山の名をこそあげたいが、ヨソから野毛山目指してくる人がいる気がしない。中華街、元町(港の見える丘公園周辺を含む)を除くとどれもこれも比較的新しいように思うが、その辺の考察はのちほど。

 

 食い物はどうだ。幕藩体制の名残か日本各地には長いあいだ一部地域でのみ食い続けられているものがあり、その文化は山、川を越えない。江戸時代から続くとはいわないまでも、その土地固有の名物があるのは諸賢の知るところである。横浜で人気のある東側の地域は幕府直轄であったので、上記条件に合わない気もするけれど、構わず筆を進める。

 さあ、それでは横浜の名物はなんだろう。

 崎陽軒のシウマイ、以上。

 あるいは横浜の人はサンマー麺があるじゃないか、牛鍋は、中華街の肉まんは、と言うかもしれない。でもみなさん、冷静になって考えてみましょう。ラーメン屋に行くたびにサンマー麺注文しますか、肉まんだってわざわざ中華街で食いますか、そもそも中華街って行く?牛鍋に至っては、小生経験ありません。これが平均かどうかは知らないけれど、小生の感覚ではこんな感じ。

 ただし、小生はマリンタワーに登ったことがなく、氷川丸に乗ったことがなく、人形の家に行ったことのない人である。

 

 上記SNS上での議論に参加した友人どもは男子ばかりなので、人形の家に行ったことのあるやつはいなかったように記憶しているが、マリンタワー、氷川丸に関してはどちらか、もしくは両方経験済みということだから小生の感覚はあまりアテにならないといえなくもない。もちろん小生だって山下公園には何度も行ったことがあるけれど、公園内にある氷川丸に乗ろうと思ったことがなければ、道を挟んで向かいにあるマリンタワーに関心が向いたこともない。なんでだろうねぇ。

 

 話をシウマイに戻します。

 各地の名物は大抵の場合、その地で採れるなにがしかを使ってヒネリだしたものである。たとえば、新鮮な魚がやたらと捕れるから小田原のカマボコは有名なのだ。

 崎陽軒のシウマイに横浜のブタは使われてはおるまい。あとあとのゲップにまで影響を及ぼす干し貝柱も横浜産ではあるまい。しかし、名物のない横浜に名物を、という崎陽軒の努力の甲斐あって、戦前から現在に至るまで、我々の心を掴んで離さないのである。

 地産の材料を使っていない(断定はできませんがね)とはいえ、崎陽軒のシウマイは間違いなく横浜の名物である。シウマイ弁当もまた然り。

 いまは割合ヨソ、例えば東京都内とかでも買えるらしいけれど、先代(確か)は「あまり横浜以外のところへは出荷しないようにしている。食いたければ横浜においで」というようなことを仰っておられた。小生の心に暖かいものが湧き出したことは言うに及ばず、意図的に全国展開しない崎陽軒は尊敬に値する。しかしながら時は流れ、今やヨソで買えるようになったシウマイ、一体だれが買っているのだろう。非常に心の狭い小生は、横浜以外の人がシウマイを食っているところを想像できない。

 それでは話が進まないので、ヨソの人も崎陽軒のシウマイが好きで食っている、とする。しかし、例えばうどんを食うのにわざわざ飛行機に乗って高松に行く、カニが食いたいから北海道へ行く、というふうに横浜へわざわざシウマイを買いに来るやつはあまりいない気がする。とすると、やたらに熱く語ったシウマイは、遊びに来たついでに買うことはあっても、観光の主目的ではないようだ。

 

 さて、それでは何がスゴイから横浜は人気があるのか。なにしろ最近では1年間に3000万人以上の人が観光で来ているらしい。みなとみらいでショッピングをして、小洒落たレストランで、大きい皿の真ん中にホンのちょっとしか盛られていないおいしいものをオチョボグチで食う。そのあとは赤レンガ倉庫なんか行って、山下公園行って、夜は中華街、シメは中華街からほど近い老舗のバー、もしくはワケ知り顔にて野毛で一杯、ハ~横浜はやっぱりなにかオシャレね~ということなのか。

 あるいは一昔前は何もなくて、車でも公共交通機関を使っても到達するのに異常に時間のかかった、しかし今では何でもある港北界隈に行って、やっぱりショッピングなどをし、オチョボグチでおいしいものを少しだけ食い、帰りはこれまた昔は何にもなかった新横浜駅周辺をちょっと散策、値段の張らない居酒屋で食って飲んで、ハ~横浜には何でもあって便利ね~ということか。

 

 上に書いたようなことが人気の一端を担っているのは承知している。ただし、それら施設は比較的新しく、それより以前から人気がある説明としては弱い。八景島、ズーラシア、本牧然り。

 赤レンガ倉庫自体は歴史的建造物だけれど、商業施設となって人がどっさり来るようになったのは2002年からだから、新しいといって問題ない。中華街自体も歴史があるけれど、ちょっとエキゾチックな雑貨屋が流行りだした頃から、老舗と新しい店とが良くも悪くも共存するようになり、新しさもほのかに香るオシャレな街になっちゃった。それでも中華街という場所そのものは歴史があるといってよかろうし、いつ行っても人でいっぱいだから集客能力は抜群である。

 

 そこへいくと元町は正真正銘古い。店の淘汰はあるからそこは中華街といっしょだけれど、なにしろ100年以上の歴史があるからね。それこそ昔からある店が代替わりを繰り返しつつ今に至り、地元の人との間には何代にも渡る付き合いが残っているはずである。フクゾー、近沢、ミハマ、タカラダその他その他…小生はひやかしで入ったことはあっても何か買ったことあったかなァ?これらの店は歴史があるだけに、これぞ元町、というたたずまいである。店に入るのに少し抵抗があるように思えなくもないが、入ってみると押し付けがましい感じはどこにもなく、いい意味で客を放っておいてくれ、しかし背後では店員さんがさわやかなるホホエミをたたえておられる。窮屈な感じは一切ない。これが元町の老舗の平均だと思う。

 この他にも小生が若かった頃は、アヤシゲなる舶来食品を売っている店があり(なくなっちゃた)、フシギな雑貨を売る店があり(健在)、どの年齢層を狙っているのか分からない喫茶店があり(健在)、エルビス・プレスリー以外に似合うやつのいなそうなアメカジを売る店があり(なくなっちゃった)、本当にこの店で毎日の用を足す金持ちがいるのかとの疑問を禁じえないこぢんまりしたスーパーがあったりした(健在)。正確には元町商店街ではなかったけれど、当時は珍しかった輸入CDを売るタワーレコードもあった(なくなっちゃった)。行って楽しかったし、こっそり誇りに思っていた。横浜の人が思う横浜の姿であったと思う。ただ中華街同様20~25年前頃を境に、元町も変わった。いつの時代にも変化はあるし、あるべきだとも思うけれど、老舗や、上記いかにも元町らしい今でも健在の店々を除くと(全体の店舗数から見ればドッてことのない数)、商店街を遠くから見た感じは昔と同じでも、雰囲気がヨソと変わらなくなってしまったように思う。今でも継続的に人を集め続けているのであろうから、正しい変化を遂げたのだろうと思わざるを得ないけれど、個人的には大変残念である。保守的なおじさんの懐古趣味である。

 

 ともかく、元町は昔から多くの人を集めていたことは間違いのないところだ。みなとみらいは完成しておらず、八景島の水族館もまだ存在せず、いまスゴイことになっている港北一帯なんて秘境扱いであった1990年頃でさえ2500万人を超える観光客が訪れていたわけだけれど、元町、中華街やそのあたりだけを目当てに2500万人が来る?みんな何を目当てに横浜に遊びに来てたの?

 

 小生は用事があればみなとみらいに行ってたし、中華街だってたまにしか行かなかったけれど行くことは行くし、港北にだって行ったことはあるよ。ただそれらは、そう頻繁に行くところではない。少なくとも小生はそう。たぶん横浜の人はみんなそうじゃないのかなァ。横浜の人はホンの少~し排他的だから、観光客がいっぱいいるところにわざわざ行かないのです。京都の人が、ビックリするくらい市内のお寺のことを知らないのと同じことです。

 つまり、それら商業施設その他が人気モノである認識はありながら、いまいち誇りに思っていない、といえる。また、京都の人を支える「千年以上のあいだ都であった事実」のような核心もない。これがまさに友人たちとのカンカンガクガクで結論が出なかった理由である。自分たちがスゴイと思っていないのに、ヨソの人はスゴイと思ってくれて、どうしてその落差があるのか我々には分からない。

 分からないけれど、周りがチヤホヤしてくれるから、我々はナマイキな感じで「出身は横浜デス」と答えるのであります。

 

2021年6月 擱筆