6 NZ個人旅行

 それでは、NZを個人旅行で巡りたい。競争相手は6日間のパック旅行だから、公平を期するために小生の個人旅行プランも到着の日を含めて6日間とし、7日目に帰りの飛行機に乗ることとする。

 

 これは個人旅行であるからして、飛行機のチケットは自分で手配しなければならない。ひと昔以上前、たとえば小生若かりしころに海外旅行のチケットを取るのは、なかなかに時間のかかることであった。なにしろインターネットで検索すれば安い順にどんどん表示されるなどという時代ではなく、あちこち電話しては(ケイタイ電話なんてないゾ)値段を訊き、実際に旅行会社を訪ねたりもし、とにかく手間のかかる一大イベントの趣があった。そこへいくと現在はどうということもなくチケットの予約はできるので、このくらいのことを面倒だと思ってはいけない。そして日程が決まったらレンタカーの手配もしておきたい。NZは日本と同じ左側通行だから混乱もなく、交通ルールに多少の違いはあるものの、左ハンドル右側通行の国にはくらぶべくもない。空港にオフィスを構えている大手レンタカーは高いので、半額以下の安いのでいこうと思う。空港から少し離れたところにオフィスがあるから余計に時間がかかるけれど、迎えに来てくれるからヨシとしたい。迎えを呼ぶのには電話をする必要があるが、「かむ・ぴっく・あっぷ・ぷりーず」で大丈夫。宿泊については日程のところに付記します。

 

 まず、6日間しかないとなれば、北、南島の両方を駆けずり回るのはハナからあきらめて、今回は小生も住んでいることだし、南島だけとしたい。旅行社のプラン同様、季節は11月から2月ころまでの繁忙期を除くどこかということにする。

 

1日目 日本脱出

2日目 朝の9時オークランド着、乗り換えて14時チョイにクイーンズタウン(以下QT)着。ここまでは一緒。コロナウイルスうんぬんがなければ、1本早い飛行機に乗れるかもしれない。そこでレンタカーを借りて、この日はもうおしまい。フンパツして湖の見えるモーテルの部屋を予約しておいた。1泊300ドルなり。本日の行程はおしまいとはいえ、16時には宿にチェックインして自由の身になれるはずだから、一休みしたら散歩をしよう。なにしろ19時までは絶対にまだ明るい。QTは超観光化された街で、いつ行っても人だらけなのに、湖(Lake Wakatipu)の水は大変キレイである。その湖に面した店はたくさんあって、コーヒーの一杯でも飲むか。もしくは見たこともない炭酸飲料を買って試すのもいいかな。晩メシは車で5分のスーパー(結構いいサイズ)に行って食料を買い、部屋にあるキッチンでおかしなものを試してみるか、もしくは街で散歩してたときに見つけたアヤしげなるテイクアウェイ・フードを試してみるか。スーパーに行くとおもしろくて時間がアホみたいに過ぎていくので、今日のところは疲れてもいるし、テイクアウェイにしておくか。というような初日。

 

3日目 本日もQTに宿泊するので、1日自由。有名なアトラクションといえば、ジェットボート、バンジージャンプ、スカイダイビング。隣町のグレノーキー(Glenorchy)まで行って乗馬体験してもいいな。グレノーキーまでは1時間弱で、ずっと湖に沿って走るから景色のいいことこの上もない。QTの近所にはワイナリーやちょっとしたトレッキングコースもあったりして、なにをするのか選ぶのが大変である。もしくは、ここは贅沢にあえて何もしないということにして、ただ街中をブラブラしてもよい。歩いてすぐのところに公園があって、わざとなのかどうかしらんが、モネの「睡蓮」みたいな一角がある。なにやらシヤワセなので1日に3回も別々のカフェでコーヒーを飲んで、その合間にモーテルに戻って、風が気持ちいいから窓全開で昼寝をする、というのもいいねえ。

 

4日目 本当はもう1泊くらいしたいところ、6日間しかないから移動する。QTを出る前か、途中のクロムウェルのスーパーで夜食うものを買ってから、ランファリー(Ranfurly)まで。買い物をしなければ2時間半くらいの距離で、ここに何があるのかというに、何もない。ただのNZのいなか町である。そこにたどり着くまでの景色もなかなかであったけれど、ここらへんは町を一歩出ると結構すごい。QTと打って変わって人口密度はグンと下がり、歩いててすれ違うひとはほぼ現地在住である。すれ違うときはあいさつのひとつもしておきたい。ただすれ違うつもりでも、テキのほうからあいさつされる可能性も高いから、先手を打っておきたい。近所をドライブするか散歩するかくらいしかやることもないので、ここまでの道中でうんと道草を食ってくるといい。天気がいい日だと、夜に空を見上げるとすごいことになっている。それが目的だといってもいいくらいである。モーテル泊。

 

5日目 本日はオマル(Oamaru)に行こうと思う。1時間半くらいだから、朝ゆっくりしても大丈夫。昨日すごいいなか町に泊ったので、大都会に見えるが、実は街の中心のはじからはじまでは歩ける距離、しかも店のある通りは1本だけなのに気付く。やたらに古い建造物が残っており、目の保養になる。大きなスーパーがあって、何でも売ってるウエアハウス(The Warehouse)もある。11月から2月という設定なので、公園に行けば花がいっぱい咲いている。夕方になったら山を登ったところにあるイエロー・アイド・ペンギンのコロニーに行こう。車で行けるから楽ちん楽ちん。帰ってきて晩メシ。このへんでフィッシュ&チップスを試しておきたい。夜9時ころであったか、今度は海から上がってくるリトル・ブルー・ペンギンを見に行こう。こっちはさっきと違って有料だが、払ったカネは保護に使われているはずなので仕方ない。当然どっちのペンギンも野生である。モーテル泊。

 

6日目 本日最終日なり、ついにクライストチャーチ(CHC)に参ります。この日だけはCHCでの時間がほしいから、早起きして、7時出発。オマルから3時間半。この旅行中の最大都市、といっても街の中心は小さいので散策は歩きで大丈夫。街の中心部にはオミヤゲ屋があるからそこに行くのが正しいような気がするところ、小生はスーパーかショッピングモールをすすめたい。そのほかに海(New Brightonなど)、山(Port Hillsなど)、公園(Hagley Parkなど)と市内になんでもある。おお、どうすればいいのだ。明日は帰国の日で、オークランドで日本行きに乗ってしまえばイヤというほど寝れるから、最後の日は気合入れて遊んでおきたい。

 

 パック旅行との最大の違いは、文明の利器のおかげで到着してからでも簡単に予定を変更できることである。春先から夏にかけては天気がそれなりに安定しているとはいえ、雨に降られたりしたら予定を適当に変更すればよい。よって、日本から予約しておくのは飛行機、レンタカー、QTでの最初の2泊のみ。レンタカーはQTで借りて、CHCで返すことができ、通常追加料金はない。ちょっとスーパーに買い物に行く、ペンギンを見に行く、とかの短時間の移動を考慮しなければ、全日程を通しての車での移動時間は、約8時間である。6日目を除けば大したことはない。

 そして全日程を通して宿泊はモーテルとしたが、これはホテルより大きめの部屋にキッチンが付いていて、部屋に近いところ、運がよければ部屋の目の前に駐車場があり、宿泊費はホテルと同等もしくは安い。都合4箇所に宿泊するから毎日のように荷造りをしなければならないように思うかもしれないが、車は目の前にあるので適当に荷物を放り込んで、そのまま引っ張り出すということが可能である。しっかりした荷造りは最終日の1回だけでよろしい。キッチンが付いているから自炊ができ、スーパーでフシギなものを発見しても地団太を踏む必要がない。キッチンを大いに利用してハズレくじを楽しみ、旅の思い出にしようではないか。1泊150~180ドルくらい(2人利用、1部屋)。

 

 同じ時期のパック旅行は55~60万円で、これには小生非常に驚いた。ガイドさんの人件費を考えない小生のプランだと半額程度で済むだろう。ということは、日を新たに次は北島を攻めればいいわけで、NZに2回来れるんだから絶対にお得である。団体行動では接することのない人々との出会いも期待できる。もちろんひとそれぞれ好みは違うから、小生のプランのほうが絶対にいい、と断言はしかねる。阿川弘之が随筆に「ハワイには何もしないために行く」と書いているように、これもまた旅の考え方のひとつである。小生は阿川氏に同感で、わざわざ海外に行って昼寝するのが好きなヒトである。先述の通り11~2月のNZは天気も比較的安定していて、なにもせずにボーッとしているだけで気持ちがいい。だからこそ店もたいしてないようないなか町に1泊するようにした。諸賢の意見を拝聴したい気持ちはあるが、これは一方通行の随筆なのでこれにて失礼。

 

2023年2月 擱筆

5 NZパック旅行

 コロナ騒ぎのせいで3年間ご無沙汰していた弟が、2023年の正月に久しぶりに我が家を訪れた。うちはNZ南島のクライストチャーチ(のすぐそば)にあって、弟は何度も来ているから今さら市内観光の必要などない。もしかしたら本人は一度くらい街の中心部を見たいと思っていたのかもしれないけれど、特に一言もなかったので割愛した。来ている間に行ったのはハンマースプリングスの温泉プールと、アシュバートン(70キロ南方)の公園でのピクニックの2回。あとは主に近所の公園で姪っ子がローラースケートの練習をするのを追っかけるくらいで、これといって特別なことは何もしていない。

 これは今回の日程で、前回までは車で3時間程度のどこかに行って、みんなで1泊旅行をしていた。大体1週間の日程でうちに滞在するうち、遠出は2日だから今回と内容において大差ないといってよい。うちでないところに宿泊する楽しさはあったろうが、弟にしてみればうちも外国にあるので、面々は一緒だし、たいして違いはないように思う。

 

 その弟が、今回とある旅行社の海外旅行パンフレットを持ってきた。そのなかにホンの少しだけNZ旅行もあって、その日程は伝統的かつ典型的なNZパック旅行、小生の知る限りほかの旅行社とおおむね同じである。詳細を見てみよう。

 

1日目 成田出発(夕方)

 

2日目 オークランド(Auckland)着、朝の9時前後。国内線に乗り継ぎ、14時15分クイーンズタウン(Queenstwon)着。その後疲れているからホテルに直行して一服したいところだが、なぜか少しだけクイーンズタウン市街とは逆方向に進んでアロータウン(Arrowtown)見学。アロータウンは幹線道路から外れたところにある小さないなか町、歴史もあって静かでいいトコなんだけれど、観光化されているから鋭いひとなら少し興ざめするかもしれません。そしてやっとホテルに行って休憩できます。とはいえ、荷物を解いてやれやれ、といってる間にまたみんなで集まってロープウェーで山を登り、景色が最高にいいレストランで晩メシ。

 

3日目 朝メシもそこそこにミルフォードサウンド(Milford Sound)に向けて出発。ざっくり言って9月から3月までの日本との時差は4時間、つまり朝8時に出発だとすると、おとといまでなら朝の4時、結構キツそうである。距離は300キロ弱だから、自分の車でブッ飛ばせば3時間半から4時間、観光バスだと5時間はかかるかしら。いかにもNZという車窓が続くけれど、バスの中で寝てしまうかもしれませんね。ミルフォードはフィヨルドだから切り立つ山が両側に迫り、すごい迫力、これぞ海外旅行の醍醐味。残念なのは帰りも行きと同じだけバスに乗らなければならないので、往復で9~10時間を費やしてしまう。お気付きかとは思うけれど、NZ随一の観光地であるクイーンズタウンに宿泊していながら、そこで遊んでいない。

 

4日目 本日は朝からまた移動、マウントクック(Mt Cook)に向かいます。途中で果樹園等に寄り、しかも結構キツめの峠を越えるので、到着までに5時間以上かかるでしょう。しかし、到着したらついに待ちに待った自由時間。晴れてさえいれば景色はすごいゼ。

 

5日目 朝クライストチャーチに向けて出発。本日も途中テカポ湖(Tekapo)に立ち寄るので、クライストチャーチに着くまで6時間を切ることはないと思う。到着したら市内観光がてら「紙の聖堂」を見る、と書いてある。これは2011年の地震で倒壊した大聖堂の代わりに別の場所に建てられた簡易建造物で、躯体に紙(段ボールのことならん)を使用しているからそう呼ばれている。日本人バンシゲルなる御仁がデザインした。しかしですね、クライストチャーチに住んでいる小生としては、代替品を見る時間があるなら、損壊した大聖堂をこそ見てほしい。ここで地震があったのは東日本大震災と同じ年で、日本人も結構な人数が犠牲になった。同じ年に起きた地震だから、壊れた大聖堂を見て、東北地方に思いを馳せることもできよう。

 

6日目 手元にあるパンフレットには「朝~昼 クライストチャーチ発オークランドへ」となっているけれど、飛行機の時間は記載されていない。もし昼頃の便で、それまで自由時間なら少し市内で遊べるかな?オークランドに着いたら「ハーバーブリッジからオークランドの街並みをお楽しみいただける」、つまり空港から街の中心部を通り過ぎてハーバーブリッジを渡り、ホテルは街中だからUターンして戻ってくる。しかしながらこの日は朝クライストチャーチでか、午後オークランドでかで多少時間に余裕がありそうなので、ぜひブラブラしたい。

 

7日目 朝ワイトモへ向け出発。有名なワイトモ・ケイブ(Waitomo Cave)という洞窟でツチボタル(ヒカリキノコバエ)を見る。まったくもって蛍ではないが、光ってるから蛍みたいに見えなくもない。オークランドからワイトモまでは約3時間。そこから今度はロトルア(Rotorua、バスで2時間)に向かい、昼メシと観光。ここまで消化しておそらく出発から7時間、オークランドに帰るのは早くて夕方6時ごろかな。

 

8日目 朝9~10時ごろ離陸の直行便で帰国。

 

 長い休みを取りづらい日本人に、とにかく短時間でなるべくたくさんの場所に案内することでNZを満喫してほしい、という日程である。ざっと計算したらバスでの移動は30時間ほどあるようだから、1日の行程が10時間だとすると丸3日バスに乗っていることになる。NZ国内にいるのは6日間だから、行動している時間の半分はバスの車中である。ヒドいようにもみえるけれど、バスから見える景色、特に牧場の続く景色こそNZらしい。そこに山あり、川あり、湖あり、北島と南島では植生も違う。あまり変わり映えしないから眠くもなるが、運転しなければならない身分でないので、眠くなったら寝ちゃう自由もある。

 

 この日程を個人旅行として消化することは不可能である。居眠り運転で事故を起こすこと必至、NZの高速道路の制限速度は100キロだから、高い確率で死にます。美しいNZの風景も、それが変わらずに続くと眠気を催す。この辺、経験から申し上げております。詰め込みすぎという感じは否めないが、パック旅行だから実現可能なのである。これは大きなメリットだといえよう。

 

 手元にある旅行会社のプランは、出国から帰国までの全行程ガイドさんが案内するようなので、海外旅行でいちばんオソロしい外国語の心配はないといってよろしい。NZ航空の場合、成田で飛行機に乗った瞬間から英語環境になることが珍しくない。自分の席を担当するCAさんが日本人かNZ人かによるけれど、ガイドさんがいるならどっちだっていいよね。税関の申請書類の記入や荷物検査だって何の問題もない。NZ到着後に現地在住日本人のガイドさんと合流というパックもあるから、そこまでの行程はなんとか自分で切り拓かねばならない場合もある。しかし、それはそれ、普段は使わないボディ・ランゲージを余すことなく駆使し、オレンジジュースを頼んだらコーラを渡されたのような失敗も後になってみれば楽しい海外旅行のひとコマ。

 

 とここまで随所にニオわせたからお気付きの諸賢も多かろうと察するが、小生はパック旅行なるものに否定的である。ガイドさんがいて心配のない旅行では、海外では特に、出会うべきモノに出会えない。

 パック旅行で接触するほぼすべてのNZ人は観光業界のひとなので、全員絵に描いたような善人であるから、「NZは美しく、人も親切ですばらしい国だ」との安易な感想を持たれそうである。それは大体において正解である。しかし、一歩普通に街へ立ち入ればたちどころに悪者に取り囲まれてカツアゲされる、というようなことは起こりそうにないにせよ、本当のNZはその安心のバリアの外にある。

 そこで、次回はNZ個人旅行を考察したい。

 

 2023年1月 擱筆

4 ハムカツ団

 前回(3 大盛り)からの続きです。量を食べることこそ我が人生、というようなことでした。若いときから一貫してそうである。そしてある日、「ハムカツ団」なるものを組織し、言い出しっぺだから団長に就任した。おいしいものを腹いっぱい、お手ごろ値段で食うというのが基本方針である。団員は小生以下、ヨメ(副団長)、弟、友人の計4名。ハムカツ団の名の由来は、ハムカツが高い食べものの正反対にある「安くてウマイ」ものの最高峰であるからである。いいオトナがバカなことを・・という点で椎名誠の「東ケト会」に似ていないこともない。

 

 さて、ハムカツ団は名物を食べるためだけにどこかへ旅行する。ま、修学旅行みたいなモンである。または近郊でもアッチにいい店があると聞けば突撃し、前から気になっていたコッチの店にも侵入を試みる。みなさんにもオボエがあるでしょう、昔から近所にずう~っとあるのに、なぜか入ったことのない店。訊けば全員知っているのに、なぜか誰も行ったことがない。店のたたずまい、雰囲気は一種異様で30年の昔から何ひとつ変わらず、そういえば何が売りの店なのかも判然としない。我々はそういう店にこそ目を向けるのである。

 

 たとえば、小生の通った高校近くにあったラーメン屋「花菱」。

「頑固一徹花菱ラーメン」と友人たちは口をそろえてウワサし、事実メニューは頑固にラーメンしかなかったようだけれど、何しろウワサばかりで誰も行ったことがないんだから、真実は闇の中である。外から店の中の様子は一切判らず、入りづらいったらない。結局小生はそこへ訪れる機会を持たないまま卒業してしまい、風のウワサで閉店したと聞いいたときのなんという後悔の念。そこらへんもハムカツ団創設の遠因といえるかもしれない。

 

 さて、ハムカツ団最初の修学旅行は高松1泊2日。高松空港でレンタカーを借りて、空港最寄のうどん屋に直行。言うまでもなく目的は讃岐うどんだから、移動の間に道の駅など冷やかしつつ、到着したその日に確か5食。夕食(4食目)はうどんすき、夜食に天ぷらをのっけたあったかいやつ。夜食のあとに行った喫茶店での甘いモンを除けば、5食すべてうどんである。

 次の日は朝一番で高松駅へ行き、入場料をわざわざ払って駅の中にある立ち食いうどん。立ち食いであっても普通にうまいことを確認、本当はどこかの高校の学食も試したかったけれど、これは常識で考えてムリですね。

 最後の8杯目のうどんは地元のみなさんが食べるかどうかは判らないが、試しておきたいカレーうどん。熱かろうが冷たかろうが、どのうどんも気合の入ったコシがあり、どこも地元にあるうどん屋の半額以下、うっかりすると200円以下。現地滞在約30時間でうどんを8回食ったんだから、立派なモンである。我々は満足して帰路に着いた。

 

 2度目の修学旅行は沖縄2泊3日。沖縄は讃岐のように何々一本槍、というわけには参らず、試したいもの花盛り。食事と食事の間に訪れた万座毛で海が見えた以外には、我々は沖縄に行ったにもかかわらず、波打ち際に一切近付いていない。

 まずは有名な市場に行って、それまで未経験の海ぶどうやらアオブダイの刺身やらを食べ、小生は念願のウミヘビのおツユも飲んでなかなかに満足。夜はどこぞのステーキ屋(たしか有名店)で安い割になんだか異常に盛りのいいステーキと鳥の唐揚げかなんかを食べて満腹。帰り道にこれまた未経験のドラゴンフルーツやスターフルーツを買って、ホテルでみんなでつつきあったりもした。

 開高健が爬虫類はいいダシを出すと書いておられたけれど、ウミヘビのおつゆは特におかしなニオイがあるわけでもなく、肉は少し固めの鶏肉のよう、骨が細くて面倒なのを除けば、大変においしい。今まで食べたことのある肉の中で一番近いのはワニ肉のように思うけれど、説明として適当でないかな?ドラゴンフルーツ、スターフルーツは話の種にはいいかもしれないけれど、どちらも香りに乏しく、ドウということもなかったように記憶している。他にA&Wでハンバーガー(A&Wは地元近郊で見たことがない)、居酒屋で沖縄名物のアレ、コレ。このへんは「初めて食べた」というところに重点があるのであって、わざわざそれを目的にしてもう一度行くか、と問われたら「いいえ」と答える。小生はマズかったといってるんじゃないヨ、念のため。

 沖縄ではまた、目的地を決めずに車で適当に走って、たまたま見つけた食堂に入った。たまたま見つけたわけだし、小生は運転していなかったせいもあって、それがどこであったのか全く記憶にない。ともかく、そこはたぶん地元の人がふつうに利用していると思われる食堂で、ソーキそば(沖縄そば?)を注文したら、おにぎりがオマケで付いてきた。そばだって結構な盛りなのに、そのおにぎりは都会の例のケチな小ッさいのではなく、子供なら十分それだけでお腹いっぱいになるといううれしいサイズ。2泊3日の間に上記以外にも、珍しいものを見つけては食べていたわけで、今思うとスゴイ量だな。

 

 というのは、これだけ大盛り大好きと書いておきながら、最近は以前のような量が食べられなくなってきている。好きな味の傾向に変化はないようだから、純粋にトシによる体力の低下が原因のようだ。気持ちはまだまだイケると思っているのに、体が「限界デス」と泣き言を言うようになった。

 

 これはコッチ(NZ)での話だけれど、ある日某友人を焼き鳥屋に招待した。友人といってもおじいさんだし、そんなに量は食べない。小生、ヨメ、おじいさんの3人で食べられると思った量の半分くらいをとりあえず注文しておいて、熱燗を差しつ差されつ食べるうち、摩訶不思議、腹がいっぱいになってきた。オイオイ、「食べられると思った量の半分」だぞ。しかも食べる前は「焼き鳥なんて大して実体のない食いモン、いくらでも食えるんじゃないの、カネが足りなくなったらどうしよう」と思っていた。適度な酒は食欲を増進させるはずでもあるゾ。実際にどれだけ食ったのか定かではないけれど、今でもクヨクヨと覚えてるんだから、受けたショックが大きかったのは間違いない。

 

 さて、ハムカツ団に話を戻そう。ハムカツ団は結成して5年くらいで団長と副団長が海外に引っ越してしまったので、事実上解散したようなものかもしれぬが、ハッキリと解散を宣言してはいない。それもそのはず、団長、副団長は国境を越えてなおその情熱を燃やし続けているのである。

 どういうことかというに、1年に1回のペースで弟が遊びに来る。すると団長はかわいい団員であるところの弟にアレを食わせたい、コレも食わせたいという思いに駆られる。そこで、自分だって滅多に食べない「ケバブ・オン・チップス」(ケバブ肉が山盛りのフライドポテトの上にどっさり、その上からグレービーソースをジャージャーかけるというすごい一品)の注文に走り、また別の日、ホットケーキとベーコンとフルーツが同じ皿に盛られて登場し、全体にメープルシロップをかけて一緒にほおばるというフシギな朝飯を喫茶店で食わせ、同時にドンブリ鉢に入ったカフェラテを見舞う。弟は当然朝から食べすぎ飲みすぎで少しキモチ悪い。これぞ我らの本懐、おれたちだってまだまだやれるゾ。

 

 ハムカツ団としては上記のほか名古屋にも行ったのであるが、それはまた別の機会に譲るとして、地元の店の話をひとつ。横浜駅に程近いバス停、岡野町と浅間下の間、新田間川沿いにある「ステーキハウスみや」。ここは古いぞ、なにせ小生が物心付いた時分にはもうあったように思うからね。しかしそこはステーキ屋、前を通ってメニューを見るまでもなく、高い店に違いないという先入観から行こうなどと思ったことがなかった。というより、店があるのは知っているのに、意識に入らないというのか、とにかく小生にとってはそういう類の店であった。ところがどういうわけかいつの頃からか気になり始め、ある日ついに未踏の地へ足を踏み入れたのである。店内は狭くてほの暗く、蝶ネクタイの店員さんが至近にいて気にならないわけでもない。しかし家族連れなどもいるから窮屈でもない。ランチに至ってはなかなかに気安い値段。夜3回、昼1回くらい行ったように記憶している。その店は、高級ステーキ店と外国産の肉を安くたくさん食わせる庶民派(小生は当然好きな系統)の間の、ビミョーな位置にいる。値段的にはどちらかといえば庶民派に近いけれど、そこはステーキだから安くもない。ハムカツ団の基本理念に反するが、ステーキなんだから仕方がない。味はどうかというに、一切奇をてらっていない超正統派。おいしい肉を、上手に焼いたステーキが出てきます。

 特に立地がいいようには思えず、「そうだ今日はまともなステーキが食いたいナ」と思うひとが大勢いるようにも思えず、しかしこの競争過激なセチ辛い現代を何十年も飄々と生き抜いている。まともなステーキをベラボーではない金額で楽しめる、上記ビミョーな立ち位置が長寿の秘訣とみた。NZ定住以来3回日本へ帰ったが、そのときには行く機会を得なかった。ああ、もう一度行く機会があるかしら。

 

 食える量が減ったように思うことがあるにせよ、おかしな食いモン、めずらしい食いモンに対する興味を失ってはいない。海外に住んでいるゆえ、おかしな食いモンは周りにいっぱいある。おいおいご紹介いたしましょう。

 

2021年11月 擱筆

3 大盛り

 人は年を取ると、若いときには主にその値段により敬遠していた店に出入りするようになるようだ。ここでいう「店」とは食事をするところ、という意味である。全員がそうであるとは断言しないけれど、友人知人のSNSなどを見る限り、おおぅ、おまえそんな店でそんなモン食うようになったか、と思うことしばしばである。

 

 他でも書いたけれど、大きい皿の真ん中にほんのポッチリ見栄えのいい料理がのっていて、しかも結構な金額を請求される、というようなモノを出す店に小生は行かない。ウマイかもしれぬが、なにより腹がいっぱいにならぬ。

 

 小生まだ若かりし日に友人の結婚披露宴に出席した。披露宴だからレストランとはまた違うかもしれぬが、どの皿にもホンの少ししか食いモンがのっておらず、どの皿もふた口で終わってしまう。我々のテーブルを除いては、小ッさい肉を上品に4回くらいに分けてチマチマと楽しんでいたように思うが、肉の真ん中にグサッとフォークを刺せば一口で食えるサイズだぞ。切る手間なんて必要ないから、ナイフはきれいなままである。もちろんおれたちァメシを食いに行ったんじゃないから文句を言う筋合いでもないけれど、最後まで同じ調子で、腹いっぱいにはならなかった。20年以上経ってまだクドクドと文句を言うんだから、食いものの恨みは恐しいといえる。そう、小生は50歳になってなお、「ギリギリ満腹まで食べること」を至上命題としているのだ。

 

 さて、まずはトンカツ屋に行ったとする。大抵のトンカツ屋はごはん、キャベツのおかわり自由という美しいサービスを提供しており、特にごはん食べ放題はすばらしいの一言。まァ、トンカツのサイズにもよるけれど、どんなにゆっくりごはんを食べたって、トンカツが半分なくなるころにはごはん一膳なくなるよね。ということは、少なく見積もってもごはんは二膳必要なのであり、始めにトンカツと一緒に供されるごはんは本来どんぶり飯が妥当だといえる。食の細いのや女の子の客もいるからふつうのお茶碗なんだろうね。しかしこの点、おかわりできるんだから文句はない。

 

 もうひとつ、とんかつ屋ではロース、ヒレという重要な問題がある。小生はロース肉のはじっこに付いている脂身の部分にこそカネを払っている感覚なのであるが、これが値段の張るトンカツ屋だと、ロースであるにもかかわらず、わざわざその一番ウマイ脂身の大部分を切り取ってから揚げるというような余計な手間をかける。暴挙といわざるを得ない。よって、小生は始めから脂身など期待できないヒレカツ定食なるものを頼むようなやつをケイベツすることにしている。だって一番おいしい脂身が付いてなくて、その分ひとまわり小さかったりして、しかも値段は同等、もしくは少し高い。ヒレカツのほうが安いというようなことはあまりないように思う。すごい矛盾である。ロースよりも希少な部位だから、というのは解らんでもないけれど、元々もっと安価であるべき部位ではないのか。

 

 この際だから、パン粉の付けかたに関してもいいたいことがある。好みとしては粗めのパン粉をざくざく付けて、個人的には二度付けして衣を分厚くし、ラードで揚げてほしい。細かいパン粉を上品に付けて、ちょっと健康を気遣った植物油で揚げる、なんていうのは邪道だといいたい。カロリーを気にするならお蕎麦屋さんに行きなさい。もしくは一食抜いてからトンカツ屋さんに行こう。

 

 芸能人がよく言う、

「こってりしてるようなんだけど、案外さっぱりといただける」とか、

「しつこいかなァ、なんて思ったけど意外と軽くて胃にもたれなそう」

というようないわゆる食レポ、おまえらウソを言ってやしないか。そもそも「さっぱり」とか「軽い」は揚げ物をホメる言葉として適当でない。

「おお、衣はサクサク、そして箸にドシッとくるこのうれしい重量感、特に甘みを感じるこの脂身の部分のウマイこと、いや~大将さすが、やっぱりトンカツはこうでなくっちゃいけませんね。」

というふうに感想を述べるべきである。人はこってりしたものをガツッと食べたくてトンカツやからあげを注文するのであって、さっぱりした揚げ物なんてこの世にはないのである。オシャレを気取ってからあげにレモンを絞ったところで、香りはさわやかになるけれど、正体は依然断固としてからあげである。

 正しいトンカツ屋の作法は、ごはんを2回くらいおかわりしつつロースカツを堪能、店を出るときにすごいゲップを一発、これです。

 

 また別の日、焼肉食べ放題の店に行く。ギリギリ満腹まで食べるのにこれほどふさわしい場所はなかろう。肉ばかりでお腹いっぱいにするのは小生の流儀ではなく、肉を食べるときはごはんと一緒に食べたい。幸いにして肉は鶏、豚、牛、なんでもあり、途中で飽きてしまうようなことは起こらない。できれば羊も食べたいけれど、北海道じゃないから食べ放題の店では見たことはない。

 ともかく、小生は肉の焼き加減にうるさい注文などなく、持ってきたものはどんどん焼いて、片ッ端から食べる。肉の良し悪しだって判りゃしないから、タレさえうまければごはんもすすむ。時間制限など設けているつまらぬ店もあり、野菜などに構っている時間などない。焼肉を葉っぱにのっけて、なにがしかのミソを少し塗って、まるめて、などという手間をかける連中の気が知れぬ。おいしいのは知ってるけれど、おうちでやるもんじゃないのか。どうしても食べなければならぬ逼迫した事情のある場合は、肉、葉っぱ、ミソを適当に口の中に放り込めば大いに手間を省略でき、結局同じ味がするじゃないか。しかし、いくらなんでも野菜ゼロというわけにもいかないから、キムチは食べる。キムチは発酵食品だからアミノ酸も豊富で、小泉武夫先生ならば小生の不精を認めてくださるに違いない。

 

 さて、あらためて小生のいう「焼肉食べ放題の店」の説明をしますが、たいていは幹線道路沿いにある家族向けの店で、焼肉とうたってはいるけれど麺類、カレー、デザートもあるような節操のない店(ホメています、念のため)のことである。だいたいオトナ1人2500エン前後かな(小生の古い記憶による)。してみると、ちょっと小ジャレた食べ放題の店と大差なく、しかもテキは異常にバラエティにとんでいる。小ジャレた店だけに小ジャレたデザートなどもあったりして、それはそれでなかなかに魅力的ではある。一度その手の店で水ようかんを発見したとき(日本に帰国中)には狂喜乱舞、滅多にないチャンスを逃すまいと(NZでは入手不可)そればかり食べた。よって、食べ放題に5回行くなら、そのうち1回は小ジャレててもいい。

 

 ただやっぱり肉を焼けるなら肉を焼きたい。家族か、もしくは気のおけない友人がこういうときの限界で、昨日今日知り合ったばかりのやつとは行ってはいけない。

「てめぇその肉おれンだぞ」とか、

「知るかボケ、網においたら誰のモンなんてあるか、ボヤボヤしてるおまえが悪い」

とかいいながら和気アイアイと楽しむにはよく知ってるヤツとでないとうまくいかない。昨日今日知り合ったわけではなくても、肉を焼く順番とか、焼き具合がどうの、とかうるさいことを言う御仁もハナっから相手にしてはいけない。そいうい手合いとは鍋を食いに行くべきであり、御仁は仲居よろしく鍋の面倒を見てくださるに違いないから、コッチは食べることに集中できる。すばらしく美しい関係がそこに成立する。

 

 さあ、肉はさんざん食った、ごはんも3杯半食って腹いっぱい。カレーやラーメンなどは相手にせずにここまで戦ってきた。ぼちぼち肉の焼けるニオイなど嗅ぎたくもなくなってきたけれど、甘いモンは食っておきたい。甘いモンが好きだという事情があるにせよ、食っておかないと損だ、というケチ根性が小生を最後の戦場へと向かわせる。固形物はキビしいかもしれぬが、アイスならいけるかもしれぬ。ということで少しづつ3種類くらい食ってから勘定を払いたい。今回の場合はトンカツ屋と違い、ゲップをするとモドしてしまう可能性もないではないので、こみ上げる何物かと戦いながら店をあとにするのである。

 

 小生の料簡に偏りがあるのはウスウス気付いてはいるが、世の人々はいいものをホンの少し食べただけで本当に満足しているのであろうか。そのような人の意見を拝聴したいけれど、数少ない友人を失いたくないから訊かないでいる。

 

2021年11月 擱筆

2 横浜とは

 ひとに訊かれて「横浜出身です」と答えて得る反応は、大きく分けてふたつある。

 ひとつは好意的、もうひとつは「カッコつけてンな」というニュアンスを感じる少し否定的なものである。後者は自分に対しての批評も含まれるであろうから一概にはいえないまでも、ふた通りの反応があることについては、賛同が得られるように思う。

 「カッコつけやがって」の裏には多少の嫉妬が隠されていると思いたいところだけれど、ますます反感買うかな?いずれにしても、そう仮定すると好意的、否定的感情共に「横浜スゴイ」というところが共通している。

 

 なぜ横浜はスゴイと思われているのだろう。

 過去に友人たちとこの疑問について議論(といってもSNSで)したことがあり、何人もの出身者のカンカンガクガクの末、「これ!」という結論にたどりつかなかった。横浜を訪れるヨソの人、要は観光客が行くだろう場所として思いつくのは、中華街・山下町界隈(山下公園を含む)、元町、本牧、八景島、みなとみらい、ズーラシア、ラーメン博物館、あとは港北方面の一帯。動物園ならば出身者としてはズーラシアより野毛山の名をこそあげたいが、ヨソから野毛山目指してくる人がいる気がしない。中華街、元町(港の見える丘公園周辺を含む)を除くとどれもこれも比較的新しいように思うが、その辺の考察はのちほど。

 

 食い物はどうだ。幕藩体制の名残か日本各地には長いあいだ一部地域でのみ食い続けられているものがあり、その文化は山、川を越えない。江戸時代から続くとはいわないまでも、その土地固有の名物があるのは諸賢の知るところである。横浜で人気のある東側の地域は幕府直轄であったので、上記条件に合わない気もするけれど、構わず筆を進める。

 さあ、それでは横浜の名物はなんだろう。

 崎陽軒のシウマイ、以上。

 あるいは横浜の人はサンマー麺があるじゃないか、牛鍋は、中華街の肉まんは、と言うかもしれない。でもみなさん、冷静になって考えてみましょう。ラーメン屋に行くたびにサンマー麺注文しますか、肉まんだってわざわざ中華街で食いますか、そもそも中華街って行く?牛鍋に至っては、小生経験ありません。これが平均かどうかは知らないけれど、小生の感覚ではこんな感じ。

 ただし、小生はマリンタワーに登ったことがなく、氷川丸に乗ったことがなく、人形の家に行ったことのない人である。

 

 上記SNS上での議論に参加した友人どもは男子ばかりなので、人形の家に行ったことのあるやつはいなかったように記憶しているが、マリンタワー、氷川丸に関してはどちらか、もしくは両方経験済みということだから小生の感覚はあまりアテにならないといえなくもない。もちろん小生だって山下公園には何度も行ったことがあるけれど、公園内にある氷川丸に乗ろうと思ったことがなければ、道を挟んで向かいにあるマリンタワーに関心が向いたこともない。なんでだろうねぇ。

 

 話をシウマイに戻します。

 各地の名物は大抵の場合、その地で採れるなにがしかを使ってヒネリだしたものである。たとえば、新鮮な魚がやたらと捕れるから小田原のカマボコは有名なのだ。

 崎陽軒のシウマイに横浜のブタは使われてはおるまい。あとあとのゲップにまで影響を及ぼす干し貝柱も横浜産ではあるまい。しかし、名物のない横浜に名物を、という崎陽軒の努力の甲斐あって、戦前から現在に至るまで、我々の心を掴んで離さないのである。

 地産の材料を使っていない(断定はできませんがね)とはいえ、崎陽軒のシウマイは間違いなく横浜の名物である。シウマイ弁当もまた然り。

 いまは割合ヨソ、例えば東京都内とかでも買えるらしいけれど、先代(確か)は「あまり横浜以外のところへは出荷しないようにしている。食いたければ横浜においで」というようなことを仰っておられた。小生の心に暖かいものが湧き出したことは言うに及ばず、意図的に全国展開しない崎陽軒は尊敬に値する。しかしながら時は流れ、今やヨソで買えるようになったシウマイ、一体だれが買っているのだろう。非常に心の狭い小生は、横浜以外の人がシウマイを食っているところを想像できない。

 それでは話が進まないので、ヨソの人も崎陽軒のシウマイが好きで食っている、とする。しかし、例えばうどんを食うのにわざわざ飛行機に乗って高松に行く、カニが食いたいから北海道へ行く、というふうに横浜へわざわざシウマイを買いに来るやつはあまりいない気がする。とすると、やたらに熱く語ったシウマイは、遊びに来たついでに買うことはあっても、観光の主目的ではないようだ。

 

 さて、それでは何がスゴイから横浜は人気があるのか。なにしろ最近では1年間に3000万人以上の人が観光で来ているらしい。みなとみらいでショッピングをして、小洒落たレストランで、大きい皿の真ん中にホンのちょっとしか盛られていないおいしいものをオチョボグチで食う。そのあとは赤レンガ倉庫なんか行って、山下公園行って、夜は中華街、シメは中華街からほど近い老舗のバー、もしくはワケ知り顔にて野毛で一杯、ハ~横浜はやっぱりなにかオシャレね~ということなのか。

 あるいは一昔前は何もなくて、車でも公共交通機関を使っても到達するのに異常に時間のかかった、しかし今では何でもある港北界隈に行って、やっぱりショッピングなどをし、オチョボグチでおいしいものを少しだけ食い、帰りはこれまた昔は何にもなかった新横浜駅周辺をちょっと散策、値段の張らない居酒屋で食って飲んで、ハ~横浜には何でもあって便利ね~ということか。

 

 上に書いたようなことが人気の一端を担っているのは承知している。ただし、それら施設は比較的新しく、それより以前から人気がある説明としては弱い。八景島、ズーラシア、本牧然り。

 赤レンガ倉庫自体は歴史的建造物だけれど、商業施設となって人がどっさり来るようになったのは2002年からだから、新しいといって問題ない。中華街自体も歴史があるけれど、ちょっとエキゾチックな雑貨屋が流行りだした頃から、老舗と新しい店とが良くも悪くも共存するようになり、新しさもほのかに香るオシャレな街になっちゃった。それでも中華街という場所そのものは歴史があるといってよかろうし、いつ行っても人でいっぱいだから集客能力は抜群である。

 

 そこへいくと元町は正真正銘古い。店の淘汰はあるからそこは中華街といっしょだけれど、なにしろ100年以上の歴史があるからね。それこそ昔からある店が代替わりを繰り返しつつ今に至り、地元の人との間には何代にも渡る付き合いが残っているはずである。フクゾー、近沢、ミハマ、タカラダその他その他…小生はひやかしで入ったことはあっても何か買ったことあったかなァ?これらの店は歴史があるだけに、これぞ元町、というたたずまいである。店に入るのに少し抵抗があるように思えなくもないが、入ってみると押し付けがましい感じはどこにもなく、いい意味で客を放っておいてくれ、しかし背後では店員さんがさわやかなるホホエミをたたえておられる。窮屈な感じは一切ない。これが元町の老舗の平均だと思う。

 この他にも小生が若かった頃は、アヤシゲなる舶来食品を売っている店があり(なくなっちゃた)、フシギな雑貨を売る店があり(健在)、どの年齢層を狙っているのか分からない喫茶店があり(健在)、エルビス・プレスリー以外に似合うやつのいなそうなアメカジを売る店があり(なくなっちゃった)、本当にこの店で毎日の用を足す金持ちがいるのかとの疑問を禁じえないこぢんまりしたスーパーがあったりした(健在)。正確には元町商店街ではなかったけれど、当時は珍しかった輸入CDを売るタワーレコードもあった(なくなっちゃった)。行って楽しかったし、こっそり誇りに思っていた。横浜の人が思う横浜の姿であったと思う。ただ中華街同様20~25年前頃を境に、元町も変わった。いつの時代にも変化はあるし、あるべきだとも思うけれど、老舗や、上記いかにも元町らしい今でも健在の店々を除くと(全体の店舗数から見ればドッてことのない数)、商店街を遠くから見た感じは昔と同じでも、雰囲気がヨソと変わらなくなってしまったように思う。今でも継続的に人を集め続けているのであろうから、正しい変化を遂げたのだろうと思わざるを得ないけれど、個人的には大変残念である。保守的なおじさんの懐古趣味である。

 

 ともかく、元町は昔から多くの人を集めていたことは間違いのないところだ。みなとみらいは完成しておらず、八景島の水族館もまだ存在せず、いまスゴイことになっている港北一帯なんて秘境扱いであった1990年頃でさえ2500万人を超える観光客が訪れていたわけだけれど、元町、中華街やそのあたりだけを目当てに2500万人が来る?みんな何を目当てに横浜に遊びに来てたの?

 

 小生は用事があればみなとみらいに行ってたし、中華街だってたまにしか行かなかったけれど行くことは行くし、港北にだって行ったことはあるよ。ただそれらは、そう頻繁に行くところではない。少なくとも小生はそう。たぶん横浜の人はみんなそうじゃないのかなァ。横浜の人はホンの少~し排他的だから、観光客がいっぱいいるところにわざわざ行かないのです。京都の人が、ビックリするくらい市内のお寺のことを知らないのと同じことです。

 つまり、それら商業施設その他が人気モノである認識はありながら、いまいち誇りに思っていない、といえる。また、京都の人を支える「千年以上のあいだ都であった事実」のような核心もない。これがまさに友人たちとのカンカンガクガクで結論が出なかった理由である。自分たちがスゴイと思っていないのに、ヨソの人はスゴイと思ってくれて、どうしてその落差があるのか我々には分からない。

 分からないけれど、周りがチヤホヤしてくれるから、我々はナマイキな感じで「出身は横浜デス」と答えるのであります。

 

2021年6月 擱筆

1 横浜出身

 小生は横浜出身である。少なくともこれまで人に訊かれたらそう答えてきたし、自分でもそう思っている。

 しかし、長い間疑問に思っていたことがある。母が小生を生んだのは東京都新宿区で、「生まれたところ」が出身地であるならば、小生の出身は新宿というコトになり、生まれてこのかた一日たりとも住んだことのない、なじみのまったくない場所が出身地となってしまわないか。母は小生妊娠中に横浜に引っ越したにもかかわらず、転院しなかったおかげで新宿で生まれてしまった。

  こいつは困った、小生50年近くも「出身は横浜デス」と言い続けてきたのに、ここで小生の生まれた場所が明らかになれば、もしかすると友人知人こぞって非難しやしないか。友人の中にはガラの悪いのやタチの悪いのがウンといる。以下は小生がうっかりクチを滑らせたばっかりに拝聴に及んだありがたきお言葉の抜粋である。

 友人A 「オマエよぉ、横浜だっつってたよなァ?おれァ市民病院(横浜市保土ヶ谷区)で生まれたけどよ、オマエ東京でお生まれになったらしいじゃないの。ならヨ、オマエ横浜っつうことはないんじゃねぇの、オマエ。」

 と、別に小生も東京もなにも悪いことはしていないのに、「オマエ」を連呼された挙句、ウソツキを糾弾する口調だ。

 

 友人B 「やっぱさァ、生まれたトコが出身っつうことだろ?だいたいよ、横浜のヤツって出身訊くと必ず『神奈川県』じゃなくて『横浜』って言うよナ。」

 今度は論点がややズレて、しかしやっぱり非難口調。確かに出身を訊かれて「神奈川県出身です」と答えたことはない。それまで当たり前すぎて考えもしなかったことである。名古屋出身のひとは「愛知」出身だと言わない気がするし、仙台のひとだって「宮城」だと言わない気がする。それと同じだと思うのだけれど、「カッコつけやがってよォ」というニュアンスが感じられた。

 

 そこで、数十年来のナゾであった「出身地」の定義を調べてみた。

 すると大まかにいって、出身地とは「生まれた場所」を指すのではなく、「幼少期にいちばん長く過ごした場所、もしくは人格形成の基礎になった場所」ということらしい。また、「出生地」と「出身地」は別モノだそうである。言われてみればうなづけるけれど、段々と正体が見えてきたゾ。

 つまり、小生の出生地は新宿であり、そういえば小生の戸籍にそのように書いてあったような気がする。しかし、生まれて以来ずっと本籍は横浜で一貫しており、結婚したあとの本籍も横浜、当然横浜以外の土地に住んだことはない。上記の定義に従って結論するならば、小生の出身はめでたく横浜であること疑いがなくなった。すごくホッとした。

 

 生まれる場所を選べないのは仕方のないことだが、実は新宿で生まれたという事実はずっと気になっていたことである。横浜のヒトは大体において賛成してくれると信じたいが、東京のことキライなんだなァ。ニガテだと言い変えてもいい。小生にとってそれがなぜなのかは判然としない。規模の違いはあるにせよ、人が大勢いる都会という点では東京も横浜も同じである。なじみがないからキライだというのも違っていて、同じくなじみのない都会である京都は大好きである。新宿出身だといいたい気持ちは微塵もないにもかかわらず、もし生まれた場所が京都で、本籍は生まれてこのかた横浜ということであった場合、無茶を承知で京都出身を名乗りたいくらい京都が好きである。せめて横浜出身だと前置いてから、いちいち京都で生まれたんだけどね、と付け加えたい。

 できれば多摩川を越えることなく生きていきたい。東京に行かなければ済ますことのできない用事などそうそうない。みな横浜の範囲内で事足りる。行く必要さえなければ、行く必要がない。

 

 昔あることで弁護士先生のお世話になったことがあり、その先生は大銀座(数寄屋橋の近く、銀座の中の銀座)に事務所を構えておられた。そういう場合、どうしても東京に行かなければならぬが、迷子になる可能性も多分にあり、もし銀座界隈で迷子にでもなった日には、もしかしたら小生は泣いてしまうんじゃないかしら。とここまで書いて、突然判った。これは精神的なヤマイなんだ。横浜の人は排他的で、しかも無意識的にイナカ者なんだ。だから東京行くと緊張するんだね。80%くらいの横浜人は罹患してると思うぞ。

 代官山だかに引っ越し、渋谷でワインバーなぞやっている高校の同級生がいるが、そういうのは非常にマレなケースである。剛の者といえよう。

 

 といいつつ実は小生は一年と少しのあいだ新橋と銀座の境目(住所はギリギリ新橋)でバーテンダーとして働いていた経験を持つ。小生の場合は、いや~、毎日早くおうちに帰りたかったデスね~。新橋駅、バー、酒屋、食料品店の四点を結ぶ線が小生の狭い行動範囲であり、その線内ならなんとか大丈夫だけれど、道を一本外れるとドキドキしたものです。いや、道を外れるどころか、毎日の仕入れの際の道筋にある博品館、店舗前を通過するのはなんでもないが、用事があって店舗に足を踏み入れなければならぬ場合、一歩入ればそこは処女地。何の用事であったか一切覚えてはいないけれど、ドキドキしたことだけ覚えている。その一年と少しのあいだに一度も烏森方面に行っていないというのもスゴイ事実である。確か「ゆりかもめ」はすでに開通していたように思うが、どこに乗り場があるのかいまだに知らない。そういえばゆりかもめの車両を見たことないなァ。地下鉄なのかな?

 

 用事があって東京に行く場合は当然だが、どこかへ行った帰りに東京を通らねばならぬ場合、これがまた横浜人にはツラい。

 例えば、群馬に釣りに行ったとする。行くときはそれなりに浮かれているし、大体夜遅い空いている時間だしで環八をチョチョッとやり過ごし、関越自動車道に入ってしまえばすぐに埼玉県、風景も都会のそれでなくなり(昼間の場合は風景だけれど、夜の場合は明かりの数)、目的地へ一直線。問題は帰りである。大抵の場合、夕方以降の混んでいる時間帯に関越を抜け、鬼のように渋滞する環八へ入る。何度通っても地名の順序を覚えないから、自分が第三京浜まであとどれくらいの場所にいるのか判然としない。自分のいる車線は正解なのか、右折専用車線などになったりはしまいか。ちょっとヨソ見をしている隙に信号が青になり、コンマ3秒出遅れるとクラクションを鳴らされる。おお、東京は恐ろしいのぅ。そうこうしているうちにノロノロと用賀を通過、第三京浜にのって、「港北出口」の表示が見えてくると、ああ、帰ってきたなと安心する。

 

 NZに引っ越して以来初めて日本に帰ったとき、友人が成田に車で迎えに来てくれ、よって運転する必要もなく、その場合は花の東京を観光客の目で見られるから、「あっ、レインボーブリッジだ」とか、「おお、久々にフジテレビ見たッ」などと楽しめる。そうは言っても、帰って来たなァと思い始めるのは横浜市内に入ってからである。海外からはるばる帰って来たにもかかわらず、成田に到着した段階では、まだ「帰ってきた感」は非常に希薄なのである。

 これが羽田だと、距離的には横浜にずいぶんと近い。近いが、そこはやはり東京都内、羽田から出発する際にはいいとしても、帰ってきたときには一刻も早く脱出したい。横浜方面へ脱出するには最近いろいろな方法があるようだけれど、手っ取り早いのは路線バスである。NZを出た飛行機が一度だけ羽田に着陸したことがある。そのときは新横浜で人と会うことになっていたので、新横浜駅行のバスに乗った。羽田を出るや扇島の工業地帯を通過、景色としてはよく覚えているなじみのものであるが、依然川崎市内である(一部は横浜市鶴見区だけど)。もう少し進んでつばさ橋、ここはもう完全に横浜市内、小生のふるさと神奈川区の隣の鶴見区だが、実はなじみ薄し、頑張れ、もう少しでベイブリッジだあッ、というふうに帰るのである。成田に着いても車なら羽田を通るので、筋書きは同じである。NZに来て以来4~5年に一度しか日本の土を踏まない薄情者なので、毎回盛り上がる。

 実は羽田からバスで新横浜に向かっている折、もうすぐベイブリッジだァというところでバスは小生の知らない道へ入り北上、ここはどこじゃいとキョロキョロしているとひょっこり日産スタジアムの近くに出た。小生としてはいつもの筋書き通り、もう少しでベイブリッジ、人目が気になるからしないけれど、本当はガッツポーズのひとつもしたいくらい盛り上がってきたところを小生の地図には存在しない道に入ってしまい、しかもほとんどトンネルでどこを走っているのかチンプンカンプン。判った、というときはすでに新横浜で、アドレナリンの消化不良を起こしたこと、言うまでもなし。

 これが西側からの帰り道、要は東京ではない側からの帰り道だとずいぶん違う。例えば静岡県のどこぞで遊んだ帰りに東名高速を走行。小生の場合、秦野の出口らへん(横浜出口まで30キロ)ならばもう間違いなく「おッ、そろそろ帰ってきたナ」と感じる。静岡どころかもっとウンと遠いところからの帰り道ならば、足柄(同70キロ)でもう帰ってきたと思う。神奈川県内ではあっても横浜はまだまだ遠いが、東京を通らないから緊張もないんだね。

 

 ツラツラと書いてきたが、このような問題を心に抱えるものが東京出身でいいわけがない。もっと早くに出生地と出身地の違いを調べてさえいれば、このモヤモヤした気持ちからとっくに開放されていただろうが、とにかく解決したのでヨシとしたい。

 さて、上記友人Bに典型をみるように、「カッコつけやがって」と思われていたらしい件。このへんを次に考察しようかと思いマス。

 

2021年5月 擱筆