「戦後民主主義」のもと、さらには日教組がハバを利かせていた時代に小生は育ったようである。恥しながらそんなことは少しも知らずにオトナとなり、しかも気付いたのはここ10年のうちである。おバカな小生がそれに気付いたのは故高島俊男先生の『お言葉ですが…』による。生まれたときにはすでにそれがあたりまえで、周りのオトナにとっても意識しないようなことであったから誰も教えてくれなかったのかな?もうひとつ先生が教えてくださったのは、戦後の国語改革のことである。
覚えている限り、通学した小中高で国語改革についてはひとことも言及がなかったのではあるまいか。どこでお目にかかったか戦中、戦前の漢字がややこしい字体であったのは承知していたにもかかわらず、どうして漢字の書き方が変わったのか一切教えてもらった記憶がない。これまで小文に書いた覚えのあるなかでいうと、たとえば学校の漢字のテストで「欠陥」を「缺陥」と書いたら不正解だったのではあるまいか。そもそも「缺」の字はいかなる教科書にものっていないはずで、したがって習わないから知りようもない。罐詰の「罐」然り。「座る」と書いてなんの疑いも持たなかったところ、高島先生が「座る」と書くやつの文章など読むに値せずとおっしゃっているのを拝読に及び(先生曰く『坐る』が正しい)、それでは、と小生の書く文章には覚えている限り先生の教えに沿って書く努力をしているけれど、頼りないとはこのことである。再度申し上げるが、学生時代に習わないことには、我々学生にとっては知りようもない。しかも、学校で教わることに間違いがあろうなどという疑念を一切持たずにオトナになってしまった。小生と世代を同じくするやつらはみな似たようなモンじゃないかと推察する。小生のようにオトナになってから「自分は間違っていたらしい」とあわてて表記を変えるのもいれば、知りつつ表記を変えないのもひとつの見識、知らないまま現在に至るのは上記の理由で仕方のないこと。どの態度が正解なのかという議論はこの際成り立たない。小生自身は文章を書く以上はなるべく表記を正しい方向へもっていきたいのであるが、そもそもなにが正しくてなにが正しくないのかの基礎の部分が缺落しているのだから、心細いったらない。ただし、高島先生もすべてを正字で書け、とおっしゃっているのではなくて、どうしても日本語の生理に反していると思う部分についてのみ言及されているので、小生としてはますますこんぐらがってややこしい。
正字正かなの文章は読みづらい。少なくとも小生にとっては読みづらかった。小生がまだ日本にいたころは本といえば本屋さんで買うもので、手持ちの本を読みつくすと本屋さんに行ったものである。いつも読む作家の新刊が出てはいまいかとあちこち散見するに、阿川弘之・佐和子共著の『蛙の子は蛙の子』が目に入り、手に取ってパラパラしてみた。記憶では阿川弘之先生のお書きになった部分は歴史的仮名遣いで書かれていて、それなりに若かった小生はその時点では歴史的仮名遣いで書かれた本になじみがなく、「あッ、こりゃ手に負えんナ。」と降参して購入しなかった。正字正かなと歴史的仮名遣いとは同じものではないけれど、新参者には読みづらいという点で似たようなものである。以後阿川先生の本に頻繁に接するようになり、原稿はすべて歴史的仮名遣いで一貫したはずなのに、今ふつうに手に入る文庫版の大部分は現代かな遣いなのが残念だと思う程度には慣れてきた(うちにある文藝春秋巻頭随筆『葭の髄から』の文庫版は歴史的仮名遣い)。
丸谷才一や内田百閒も歴史的仮名遣いで一貫したはずで、ためしに手元にあるものを見てみると、丸谷才一のは文春文庫、朝日文庫、文藝春秋すべて歴史的仮名遣い、百閒は新潮文庫とちくま文庫は新かなに書きあらためてあり、中公文庫はままであった。
こうして、内容が好きで読みたいからしかたなく現在と違う表記で書かれたものをふつうに読むようになった。どうしても思うのは、学生時代にちゃんと教えてくれないまでも、せめて基本の漢字だけ昔はこう書いた、あと「づ」「ゐ」「ひ」「ゑ」などの使い方くらいは教えておいてほしかった。それらはむかしの日本語ではあっても、間違っている日本語などでは断じてなく、現代国語の授業で鷗外や漱石を扱う際にでもちょこッと我らの脳ミソの片隅に残るようにしてくれさえすればよかったのである。
そこでふと考えるのは、「戦前戦中のものはすべて悪」という観点に立つ日教組や進歩的なお考えをお持ちのみなさんのことである。遺憾なことにみなさんは教育の分野において影響力を持っておられたので(現在のことは知らない)、戦後のどさくさにいろいろなことにチョッカイを出し、小生が学校に上がる昭和50年代でもまだその御威光を顕しておられたようである。漢字表記やかな遣いもそうであるが、ごぞんじの国歌斉唱、国旗掲揚の問題や先の戦争に関する教育もそうである。「教育」っつったってアナタ、大東亜戦争に関しては学校でほとんど教えてくれなかったように思うのは小生だけか。わずかに「はだしのゲン」をテレビで見せてもらったくらいで、「戦争は悲しいものなのヨ~、東條は悪いひとネ~」的教育ではなかったか。どういった経緯を持って開戦に至り、どんなことがどういうふうに起こって、終戦を迎えたか。事実を淡々と教えてくれればそれで事足りるし、興味があればあとは個人で調べもしよう。軍人軍属で230万人からなる死者を出し、うち広義で70%は餓死というようなビックリするような事実も、小生が知ったのは意外と最近である。情報元は故半藤一利先生であるから間違いはあるまい。こういった些末なことも、「漢倭奴国王」なんかより大切ではないかい?
このへんのことを書いていると段々ハラが立ってきて、だれかを頭ごなしにバカ呼ばわりしたくなるのでここで少しはなしの方向性を変える努力をしたい。つまるところ、左寄りの教育を10年以上注入され続けると、本人の知らないうちに左寄りの人間に育つということである。ちなみに小生は若いころは、「国旗なんて掲揚しようがすまいがどっちだっていいじゃん」と考えていた進歩的(?)大バカ者であった。
さて、国語のはなしを少し書いたので、ついでに辞書について触れたい。おはなしするのも恥しいことですが、小生は上記の高島先生の本を読むまで、「国語辞典に間違いはない」と信じて疑わなかったものである。どの国語辞典が、というわけではなくて、すべてが対象である。そもそも親や学校の先生には、わからない言葉があったら辞書を引け、といわれていたし、辞書を信じてはいかんと教えてはくれなかったようである。高島先生曰く、辞書は間違える、ウソを教える、編者として名前の出ている学者は通常その編輯に携わっていない、用例のない言葉が立項されている、広辞苑は少しも特別ではない、その他その他。これはもう、生まれてこのかた培ってきた常識を根底から覆しました。「国語」といって習ってきたものはすなわち「日本語」に他ならず、それは文化の根底に関わる問題であるから、学校ではほかの教科とは一線を画してもう一歩踏み込んでほしかったナ。国語と近現代史は大切であるというあたりまえのことを、海外にいるせいもあるのかしみじみと噛みしめる。
最後に、なにがいいたかったかというと、これは小生の言い訳である。今まで何本かの随筆を公にしており、読者数は少ないながらも、書く以上は正しい日本語を使って書きたい。自分の文章にはおそらく正しい部分と正しくない部分が混在していて、その分かえって見苦しいのではないかと怯えている。しかし、たくさんではないにしろ、この字はこう書くのが正しい、この言葉はこう表現されるべきである、というようなことを知ってしまった以上、その部分に関してだけは従来の誤りを正したいと思うのである。基礎がまるでなっていないので、無謀だし先も見えないのであるが、今後もこの方針をもって書き続ける所存である。
2024年 9月 擱筆