1 横浜出身

 小生は横浜出身である。少なくともこれまで人に訊かれたらそう答えてきたし、自分でもそう思っている。

 しかし、長い間疑問に思っていたことがある。母が小生を生んだのは東京都新宿区で、「生まれたところ」が出身地であるならば、小生の出身は新宿というコトになり、生まれてこのかた一日たりとも住んだことのない、なじみのまったくない場所が出身地となってしまわないか。母は小生妊娠中に横浜に引っ越したにもかかわらず、転院しなかったおかげで新宿で生まれてしまった。

  こいつは困った、小生50年近くも「出身は横浜デス」と言い続けてきたのに、ここで小生の生まれた場所が明らかになれば、もしかすると友人知人こぞって非難しやしないか。友人の中にはガラの悪いのやタチの悪いのがウンといる。以下は小生がうっかりクチを滑らせたばっかりに拝聴に及んだありがたきお言葉の抜粋である。

 友人A 「オマエよぉ、横浜だっつってたよなァ?おれァ市民病院(横浜市保土ヶ谷区)で生まれたけどよ、オマエ東京でお生まれになったらしいじゃないの。ならヨ、オマエ横浜っつうことはないんじゃねぇの、オマエ。」

 と、別に小生も東京もなにも悪いことはしていないのに、「オマエ」を連呼された挙句、ウソツキを糾弾する口調だ。

 

 友人B 「やっぱさァ、生まれたトコが出身っつうことだろ?だいたいよ、横浜のヤツって出身訊くと必ず『神奈川県』じゃなくて『横浜』って言うよナ。」

 今度は論点がややズレて、しかしやっぱり非難口調。確かに出身を訊かれて「神奈川県出身です」と答えたことはない。それまで当たり前すぎて考えもしなかったことである。名古屋出身のひとは「愛知」出身だと言わない気がするし、仙台のひとだって「宮城」だと言わない気がする。それと同じだと思うのだけれど、「カッコつけやがってよォ」というニュアンスが感じられた。

 

 そこで、数十年来のナゾであった「出身地」の定義を調べてみた。

 すると大まかにいって、出身地とは「生まれた場所」を指すのではなく、「幼少期にいちばん長く過ごした場所、もしくは人格形成の基礎になった場所」ということらしい。また、「出生地」と「出身地」は別モノだそうである。言われてみればうなづけるけれど、段々と正体が見えてきたゾ。

 つまり、小生の出生地は新宿であり、そういえば小生の戸籍にそのように書いてあったような気がする。しかし、生まれて以来ずっと本籍は横浜で一貫しており、結婚したあとの本籍も横浜、当然横浜以外の土地に住んだことはない。上記の定義に従って結論するならば、小生の出身はめでたく横浜であること疑いがなくなった。すごくホッとした。

 

 生まれる場所を選べないのは仕方のないことだが、実は新宿で生まれたという事実はずっと気になっていたことである。横浜のヒトは大体において賛成してくれると信じたいが、東京のことキライなんだなァ。ニガテだと言い変えてもいい。小生にとってそれがなぜなのかは判然としない。規模の違いはあるにせよ、人が大勢いる都会という点では東京も横浜も同じである。なじみがないからキライだというのも違っていて、同じくなじみのない都会である京都は大好きである。新宿出身だといいたい気持ちは微塵もないにもかかわらず、もし生まれた場所が京都で、本籍は生まれてこのかた横浜ということであった場合、無茶を承知で京都出身を名乗りたいくらい京都が好きである。せめて横浜出身だと前置いてから、いちいち京都で生まれたんだけどね、と付け加えたい。

 できれば多摩川を越えることなく生きていきたい。東京に行かなければ済ますことのできない用事などそうそうない。みな横浜の範囲内で事足りる。行く必要さえなければ、行く必要がない。

 

 昔あることで弁護士先生のお世話になったことがあり、その先生は大銀座(数寄屋橋の近く、銀座の中の銀座)に事務所を構えておられた。そういう場合、どうしても東京に行かなければならぬが、迷子になる可能性も多分にあり、もし銀座界隈で迷子にでもなった日には、もしかしたら小生は泣いてしまうんじゃないかしら。とここまで書いて、突然判った。これは精神的なヤマイなんだ。横浜の人は排他的で、しかも無意識的にイナカ者なんだ。だから東京行くと緊張するんだね。80%くらいの横浜人は罹患してると思うぞ。

 代官山だかに引っ越し、渋谷でワインバーなぞやっている高校の同級生がいるが、そういうのは非常にマレなケースである。剛の者といえよう。

 

 といいつつ実は小生は一年と少しのあいだ新橋と銀座の境目(住所はギリギリ新橋)でバーテンダーとして働いていた経験を持つ。小生の場合は、いや~、毎日早くおうちに帰りたかったデスね~。新橋駅、バー、酒屋、食料品店の四点を結ぶ線が小生の狭い行動範囲であり、その線内ならなんとか大丈夫だけれど、道を一本外れるとドキドキしたものです。いや、道を外れるどころか、毎日の仕入れの際の道筋にある博品館、店舗前を通過するのはなんでもないが、用事があって店舗に足を踏み入れなければならぬ場合、一歩入ればそこは処女地。何の用事であったか一切覚えてはいないけれど、ドキドキしたことだけ覚えている。その一年と少しのあいだに一度も烏森方面に行っていないというのもスゴイ事実である。確か「ゆりかもめ」はすでに開通していたように思うが、どこに乗り場があるのかいまだに知らない。そういえばゆりかもめの車両を見たことないなァ。地下鉄なのかな?

 

 用事があって東京に行く場合は当然だが、どこかへ行った帰りに東京を通らねばならぬ場合、これがまた横浜人にはツラい。

 例えば、群馬に釣りに行ったとする。行くときはそれなりに浮かれているし、大体夜遅い空いている時間だしで環八をチョチョッとやり過ごし、関越自動車道に入ってしまえばすぐに埼玉県、風景も都会のそれでなくなり(昼間の場合は風景だけれど、夜の場合は明かりの数)、目的地へ一直線。問題は帰りである。大抵の場合、夕方以降の混んでいる時間帯に関越を抜け、鬼のように渋滞する環八へ入る。何度通っても地名の順序を覚えないから、自分が第三京浜まであとどれくらいの場所にいるのか判然としない。自分のいる車線は正解なのか、右折専用車線などになったりはしまいか。ちょっとヨソ見をしている隙に信号が青になり、コンマ3秒出遅れるとクラクションを鳴らされる。おお、東京は恐ろしいのぅ。そうこうしているうちにノロノロと用賀を通過、第三京浜にのって、「港北出口」の表示が見えてくると、ああ、帰ってきたなと安心する。

 

 NZに引っ越して以来初めて日本に帰ったとき、友人が成田に車で迎えに来てくれ、よって運転する必要もなく、その場合は花の東京を観光客の目で見られるから、「あっ、レインボーブリッジだ」とか、「おお、久々にフジテレビ見たッ」などと楽しめる。そうは言っても、帰って来たなァと思い始めるのは横浜市内に入ってからである。海外からはるばる帰って来たにもかかわらず、成田に到着した段階では、まだ「帰ってきた感」は非常に希薄なのである。

 これが羽田だと、距離的には横浜にずいぶんと近い。近いが、そこはやはり東京都内、羽田から出発する際にはいいとしても、帰ってきたときには一刻も早く脱出したい。横浜方面へ脱出するには最近いろいろな方法があるようだけれど、手っ取り早いのは路線バスである。NZを出た飛行機が一度だけ羽田に着陸したことがある。そのときは新横浜で人と会うことになっていたので、新横浜駅行のバスに乗った。羽田を出るや扇島の工業地帯を通過、景色としてはよく覚えているなじみのものであるが、依然川崎市内である(一部は横浜市鶴見区だけど)。もう少し進んでつばさ橋、ここはもう完全に横浜市内、小生のふるさと神奈川区の隣の鶴見区だが、実はなじみ薄し、頑張れ、もう少しでベイブリッジだあッ、というふうに帰るのである。成田に着いても車なら羽田を通るので、筋書きは同じである。NZに来て以来4~5年に一度しか日本の土を踏まない薄情者なので、毎回盛り上がる。

 実は羽田からバスで新横浜に向かっている折、もうすぐベイブリッジだァというところでバスは小生の知らない道へ入り北上、ここはどこじゃいとキョロキョロしているとひょっこり日産スタジアムの近くに出た。小生としてはいつもの筋書き通り、もう少しでベイブリッジ、人目が気になるからしないけれど、本当はガッツポーズのひとつもしたいくらい盛り上がってきたところを小生の地図には存在しない道に入ってしまい、しかもほとんどトンネルでどこを走っているのかチンプンカンプン。判った、というときはすでに新横浜で、アドレナリンの消化不良を起こしたこと、言うまでもなし。

 これが西側からの帰り道、要は東京ではない側からの帰り道だとずいぶん違う。例えば静岡県のどこぞで遊んだ帰りに東名高速を走行。小生の場合、秦野の出口らへん(横浜出口まで30キロ)ならばもう間違いなく「おッ、そろそろ帰ってきたナ」と感じる。静岡どころかもっとウンと遠いところからの帰り道ならば、足柄(同70キロ)でもう帰ってきたと思う。神奈川県内ではあっても横浜はまだまだ遠いが、東京を通らないから緊張もないんだね。

 

 ツラツラと書いてきたが、このような問題を心に抱えるものが東京出身でいいわけがない。もっと早くに出生地と出身地の違いを調べてさえいれば、このモヤモヤした気持ちからとっくに開放されていただろうが、とにかく解決したのでヨシとしたい。

 さて、上記友人Bに典型をみるように、「カッコつけやがって」と思われていたらしい件。このへんを次に考察しようかと思いマス。

 

2021年5月 擱筆