3 大盛り

 人は年を取ると、若いときには主にその値段により敬遠していた店に出入りするようになるようだ。ここでいう「店」とは食事をするところ、という意味である。全員がそうであるとは断言しないけれど、友人知人のSNSなどを見る限り、おおぅ、おまえそんな店でそんなモン食うようになったか、と思うことしばしばである。

 

 他でも書いたけれど、大きい皿の真ん中にほんのポッチリ見栄えのいい料理がのっていて、しかも結構な金額を請求される、というようなモノを出す店に小生は行かない。ウマイかもしれぬが、なにより腹がいっぱいにならぬ。

 

 小生まだ若かりし日に友人の結婚披露宴に出席した。披露宴だからレストランとはまた違うかもしれぬが、どの皿にもホンの少ししか食いモンがのっておらず、どの皿もふた口で終わってしまう。我々のテーブルを除いては、小ッさい肉を上品に4回くらいに分けてチマチマと楽しんでいたように思うが、肉の真ん中にグサッとフォークを刺せば一口で食えるサイズだぞ。切る手間なんて必要ないから、ナイフはきれいなままである。もちろんおれたちァメシを食いに行ったんじゃないから文句を言う筋合いでもないけれど、最後まで同じ調子で、腹いっぱいにはならなかった。20年以上経ってまだクドクドと文句を言うんだから、食いものの恨みは恐しいといえる。そう、小生は50歳になってなお、「ギリギリ満腹まで食べること」を至上命題としているのだ。

 

 さて、まずはトンカツ屋に行ったとする。大抵のトンカツ屋はごはん、キャベツのおかわり自由という美しいサービスを提供しており、特にごはん食べ放題はすばらしいの一言。まァ、トンカツのサイズにもよるけれど、どんなにゆっくりごはんを食べたって、トンカツが半分なくなるころにはごはん一膳なくなるよね。ということは、少なく見積もってもごはんは二膳必要なのであり、始めにトンカツと一緒に供されるごはんは本来どんぶり飯が妥当だといえる。食の細いのや女の子の客もいるからふつうのお茶碗なんだろうね。しかしこの点、おかわりできるんだから文句はない。

 

 もうひとつ、とんかつ屋ではロース、ヒレという重要な問題がある。小生はロース肉のはじっこに付いている脂身の部分にこそカネを払っている感覚なのであるが、これが値段の張るトンカツ屋だと、ロースであるにもかかわらず、わざわざその一番ウマイ脂身の大部分を切り取ってから揚げるというような余計な手間をかける。暴挙といわざるを得ない。よって、小生は始めから脂身など期待できないヒレカツ定食なるものを頼むようなやつをケイベツすることにしている。だって一番おいしい脂身が付いてなくて、その分ひとまわり小さかったりして、しかも値段は同等、もしくは少し高い。ヒレカツのほうが安いというようなことはあまりないように思う。すごい矛盾である。ロースよりも希少な部位だから、というのは解らんでもないけれど、元々もっと安価であるべき部位ではないのか。

 

 この際だから、パン粉の付けかたに関してもいいたいことがある。好みとしては粗めのパン粉をざくざく付けて、個人的には二度付けして衣を分厚くし、ラードで揚げてほしい。細かいパン粉を上品に付けて、ちょっと健康を気遣った植物油で揚げる、なんていうのは邪道だといいたい。カロリーを気にするならお蕎麦屋さんに行きなさい。もしくは一食抜いてからトンカツ屋さんに行こう。

 

 芸能人がよく言う、

「こってりしてるようなんだけど、案外さっぱりといただける」とか、

「しつこいかなァ、なんて思ったけど意外と軽くて胃にもたれなそう」

というようないわゆる食レポ、おまえらウソを言ってやしないか。そもそも「さっぱり」とか「軽い」は揚げ物をホメる言葉として適当でない。

「おお、衣はサクサク、そして箸にドシッとくるこのうれしい重量感、特に甘みを感じるこの脂身の部分のウマイこと、いや~大将さすが、やっぱりトンカツはこうでなくっちゃいけませんね。」

というふうに感想を述べるべきである。人はこってりしたものをガツッと食べたくてトンカツやからあげを注文するのであって、さっぱりした揚げ物なんてこの世にはないのである。オシャレを気取ってからあげにレモンを絞ったところで、香りはさわやかになるけれど、正体は依然断固としてからあげである。

 正しいトンカツ屋の作法は、ごはんを2回くらいおかわりしつつロースカツを堪能、店を出るときにすごいゲップを一発、これです。

 

 また別の日、焼肉食べ放題の店に行く。ギリギリ満腹まで食べるのにこれほどふさわしい場所はなかろう。肉ばかりでお腹いっぱいにするのは小生の流儀ではなく、肉を食べるときはごはんと一緒に食べたい。幸いにして肉は鶏、豚、牛、なんでもあり、途中で飽きてしまうようなことは起こらない。できれば羊も食べたいけれど、北海道じゃないから食べ放題の店では見たことはない。

 ともかく、小生は肉の焼き加減にうるさい注文などなく、持ってきたものはどんどん焼いて、片ッ端から食べる。肉の良し悪しだって判りゃしないから、タレさえうまければごはんもすすむ。時間制限など設けているつまらぬ店もあり、野菜などに構っている時間などない。焼肉を葉っぱにのっけて、なにがしかのミソを少し塗って、まるめて、などという手間をかける連中の気が知れぬ。おいしいのは知ってるけれど、おうちでやるもんじゃないのか。どうしても食べなければならぬ逼迫した事情のある場合は、肉、葉っぱ、ミソを適当に口の中に放り込めば大いに手間を省略でき、結局同じ味がするじゃないか。しかし、いくらなんでも野菜ゼロというわけにもいかないから、キムチは食べる。キムチは発酵食品だからアミノ酸も豊富で、小泉武夫先生ならば小生の不精を認めてくださるに違いない。

 

 さて、あらためて小生のいう「焼肉食べ放題の店」の説明をしますが、たいていは幹線道路沿いにある家族向けの店で、焼肉とうたってはいるけれど麺類、カレー、デザートもあるような節操のない店(ホメています、念のため)のことである。だいたいオトナ1人2500エン前後かな(小生の古い記憶による)。してみると、ちょっと小ジャレた食べ放題の店と大差なく、しかもテキは異常にバラエティにとんでいる。小ジャレた店だけに小ジャレたデザートなどもあったりして、それはそれでなかなかに魅力的ではある。一度その手の店で水ようかんを発見したとき(日本に帰国中)には狂喜乱舞、滅多にないチャンスを逃すまいと(NZでは入手不可)そればかり食べた。よって、食べ放題に5回行くなら、そのうち1回は小ジャレててもいい。

 

 ただやっぱり肉を焼けるなら肉を焼きたい。家族か、もしくは気のおけない友人がこういうときの限界で、昨日今日知り合ったばかりのやつとは行ってはいけない。

「てめぇその肉おれンだぞ」とか、

「知るかボケ、網においたら誰のモンなんてあるか、ボヤボヤしてるおまえが悪い」

とかいいながら和気アイアイと楽しむにはよく知ってるヤツとでないとうまくいかない。昨日今日知り合ったわけではなくても、肉を焼く順番とか、焼き具合がどうの、とかうるさいことを言う御仁もハナっから相手にしてはいけない。そいうい手合いとは鍋を食いに行くべきであり、御仁は仲居よろしく鍋の面倒を見てくださるに違いないから、コッチは食べることに集中できる。すばらしく美しい関係がそこに成立する。

 

 さあ、肉はさんざん食った、ごはんも3杯半食って腹いっぱい。カレーやラーメンなどは相手にせずにここまで戦ってきた。ぼちぼち肉の焼けるニオイなど嗅ぎたくもなくなってきたけれど、甘いモンは食っておきたい。甘いモンが好きだという事情があるにせよ、食っておかないと損だ、というケチ根性が小生を最後の戦場へと向かわせる。固形物はキビしいかもしれぬが、アイスならいけるかもしれぬ。ということで少しづつ3種類くらい食ってから勘定を払いたい。今回の場合はトンカツ屋と違い、ゲップをするとモドしてしまう可能性もないではないので、こみ上げる何物かと戦いながら店をあとにするのである。

 

 小生の料簡に偏りがあるのはウスウス気付いてはいるが、世の人々はいいものをホンの少し食べただけで本当に満足しているのであろうか。そのような人の意見を拝聴したいけれど、数少ない友人を失いたくないから訊かないでいる。

 

2021年11月 擱筆