昔話について書こうと思う。まずは浦島太郎をやりたい。
古くは日本書紀や万葉集らへんを起源とするらしいが、ここではみんなご存知の「カメ」を助け、「龍宮」に行き、「乙姫」がもてなし、「玉手箱」でじじいになる例のやつを今回の浦島太郎と定義する。書くにあたって底本とした福音館の『うらしまたろう』には乙姫の親父が登場したが、登場しない本もたくさんあるのでここでは取り上げないこととしたい。
大和朝廷や日本のヘソと同様、浦島太郎もあちこちに我こそと名乗る町があるらしい。何を隠そうわが故郷もそのうちのひとつで、横浜市神奈川区には「浦島町」なる町があり、当然のことながら海に近い。そして、浦島太郎発祥の地であるゾと声をあげている。埋め立てにより現在は直接海に接してはいないが、その昔は海辺の町だったはずで、つじつまも合うじゃないか。塾に通っていたころの同級生にウラチュー(浦島丘中学)の連中がたくさんいたけれど、やつらは浦島太郎については一言も話さなかったのではあるまいか。地元のヒーローはもっと大切にしないといけないよ。
さて、神奈川区浦島町出身と思いたい浦島太郎は海辺にいた。横浜にウミガメがいたかどうか疑問を禁じえないが、本牧(横浜市中区)の古老曰く、
「ソーマちゃんよぉ、昔はサ、海は間門の交差点トコまで来ててサ、アサリなんか取り放題だったんだよ、ソーマちゃあん」
とのことなので、海はキレイだったはずである。実際太平洋にはウミガメが広く分布していることでもある。
そのキレイな海ならばウミガメがいてもよさそうなもんで、そのカメが近所のガキどもにいじめられていたとする。ふつうならそれを見たおとなは特にドウという感慨ももよおさずに通り過ぎるところ、太郎ちゃんはカネを渡してカメを引き取り、放してやったらしい。まず、「カネを払う」というところ(底本では獲った魚と交換)、おかしくないか。相手はこどもだから、「おい、カメがかわいそうだろ、放してやらんか」と怖い顔のひとつもすれば、こどもはギャーと泣いてカメを放免するはずだ。もしかすると「法律上こども」というだけで、14~16歳くらいの、見るからにタチの悪そうなのが5人ほど、生きたまま無理やり甲羅でも剝がして海辺でカメ鍋でも食うつもりであったか。そうであったなら、「キ、キ、キ、キミたち、カメがかわいそうじゃないか。これやるから勘弁してやってはくれまいか」とかなんとか、声をかけただけでもその勇気賞賛に値し、その上交渉は成立したんだから大変立派である。獲った魚くらいでは交渉にならず、現在の貨幣価値にして少なくとも1~2万は渡さないと悪ガキどもは首をタテに振らなかったろう、なかなかに痛い出費である。
太郎ちゃんが龍宮に行く過程については、小生引っかかるところはない。「おいおい、浦島はエラ呼吸でもするんか」などというつまらぬ文句をいうつもりは毛頭ない。
そんなことより真打ちの乙姫、こいつについてはいろいろあるゾ。カメが乙姫本人であったという説と、カメは単に乙姫の手下であったというのと二説あるらしい。基本的に、現代においてこの手の昔話はこどもに読み聞かせるのを本道とするため、カメが乙姫本人の假の姿であるといった想像は、こどもにとっては及びにくいのではないか。とすると、乙姫は手下であるカメを助けてもらったお礼に夕食のひとつもご馳走しようじゃないかと考えたことになる。迎えをやって自分チに招待するというのは、善意を受けてお返しをしようとする側にとっては少し不遜ではないか。ここは当然カメとともに浦島宅へ馳せ参じ、お礼を述べて菓子折りのひとつも渡すのが本来の礼儀ではないのか。しかし、昔の人の生活は変化に乏しく刺激が欲しかったのか、もしくは太郎ちゃんは底抜けの善人で人を疑うことを知らなかったのか、カメの誘いを受けてドコの馬の骨ともわからない乙姫なるやつの家へ向かうのである。
ま、着いてみればそこは龍宮城、乙姫はやさしく美しく、供されたメシは普段の生活からは想像すら及ばないご馳走、タイやヒラメは自分のために舞いに舞う。タイやヒラメが舞って美しいと感じるかどうかは評価のわかれるところだろうけれど、公平に見てタイは美しい魚であり、輝くピンクの肌には青い斑点なんか散っている。なんとなれば目の周りにもその青が差していたりして、見ようによっては妖艶とさえいえる。ヒラメは体の片方に見るべきすべてが集まっている不思議な構造だからして、評価は分かれようが、ピラピラしているから舞うにはいいのかもしれない。いずれにせよそれは小生の主観であって、肝心の太郎ちゃんは時のたつのを忘れるほどごちそうも舞いも堪能したらしいのでヨシとしたい。
ここの「時を忘れる」のくだり、それがいちにちだけのことならば我々にも起こりえる気はするが、何日も、ということだと首をかしげたくなる。例えば、酒を飲んでいるうちになんだか世の中のすべてのことが楽しくなっちゃって、おしっこに立ってふと時計を見ると「ああ、終電行っちゃった!」くらいなら判る。しかし、何日も時を忘れてということだと、寝て起きて、便所にも行き、歯を磨く瞬間だとか我に返るスキはいくらでもあったはずである。にもかかわらず楽しくて楽しくて何日も居座るのだから、太郎ちゃんの精神構造にも缺陥がありはしないか。もしくはこの乙姫、どんなたくらみがあるのか知らぬが、コッソリと薬を盛ったりしてやしないか。もしそうなら大問題だぞ。もしか太郎ちゃんとネンゴロになっていたとしても(底本では結婚している)、そうまでして太郎ちゃんを引き留める必要などあるのか。そもそもおまえの恩人ではなかったのか、おい。
3日間何の連絡もせずに家に帰らなければ、普通なら家族は警察に相談に行くのではないか。少なくとも血眼になって行方不明者の行きそうなところを探したり、友人に当たってみたりするはずだ。その家族、太郎ちゃんの場合は年老いた母上、の心配をさせるスキを与えないのだから、すごい薬だ。乙姫さんよォ、これが現代ならかなり大きなニュースになるよ。
そんな太郎ちゃんではあったものの、薬の効果が薄れたためかどうやら我に返る瞬間はおとづれる。しかしながら、残念なことにはそれまでに3年もの月日を要した。とにもかくにも我を取り戻し、帰れることになった。3年なら母上もまだ健在かもしれないじゃないか。NHKの朝ドラ『澪つくし』の惣吉は帰るまで確か2年くらい、それでも帰ってきた。3年はそれよりは少し長いけれど、完全に音信不通の状態からでも帰ってくる人はいるものだ。
で、我に返ったなら、渡された「玉手箱」なるものがいかにアヤシイものなのか想像がつきそうなものなのに、とにかく帰れるんだからともらっちゃうのは失敗であった。3年不在のつもりで帰ったのに、実際は300年。初出が上代の文献だからいいものの、近世だったなら帰ったところは現在からみて未来ということになり、例の透明チューブの中を車や電車が走るのを目の当たりにしただろう。もしくは未来の世界のネコ型ロボットがそのへんをウロウロしているかもしれない。
閑話休題、龍宮城での時間はこの世の100倍、假にいちにちしか滞在しなくても、母上を心配させるに十分である。当然乙姫はそのことを知っていたはずだから、確信犯である。やはり菓子折りを持って浦島家へ行くべきであった。
そこへとどめの玉手箱。一応これは善意の贈り物であって、こども用の本には書いてなかったように思うが、中身はどうやら太郎ちゃん自身の魂らしい。外の世界は300年たっているけれど、魂さえ守れば帰るなり300年分トシをとって死んじゃったりしないで済むということらしい。しかしだね、恩を受けた人間を3年もの間監禁し、お前の命の保証はしてやるからいいだろとは許しがたい態度だ。自分の母上が北条政子程度の有名人ならばだれかが「ああ、そのひとなら300年ほど前のひとでしょ」と教えてくれる可能性もあろうが、無名の母上のことなどだれが知っていよう。みなさんのお住いの近所に300年前にだれが住んでいたか知ってるヒト、いる?帰ってきて自暴自棄の太郎ちゃんがヤケになって玉手箱を開けてしまうのは自然の理である。この点を責められるひとはいないと思う。
これは乙姫なる女の悪行についての物語である。太郎ちゃん以外にも犠牲者がいるに違いなく、教訓などあろうはずもない。太郎ちゃんは軽率であるという指摘は免れないけれど、純粋なる被害者であってまったく救われない、と結論づけて擱筆したい。
2023年 9月 擱筆